高野秀行氏の『間違う力』という本がある。角川新書から出ていて、2010年ごろの刊行である。
高野氏は早稲田大学探検部の出身、未知の動物や辺境地域を題材とする作家である。
「ムベンベ」という獣をめぐる探検記や『ワセダ三畳青春記』『謎の独立国家ソマリランド』など、大学時代以来、探検に関する本を執筆している。
彼の著書「間違う力」は、「オンリーワンになるための10か条」がテーマとなっており、辺境作家としての高野氏の考えが詰まっている。
面白いエピソードとして、この本が、ある会社でメンタルヘルスの問題で休職している社員に配られたことがあるという。結果として多くの人が復帰につながったらしい。
あるとき、同じ人事部のメンタルヘルス担当の課長に私の『間違う力』を渡したところ、課長がそれを10冊購入し、精神を病んで求職中の社員10名に送った。
すると、なんと10人中8人が読了後、会社に復帰し、・・・それも他の社員と同じようにしゃかりきに働くのではなく、自分のペースで働いて好結果を生みだしているという。
高野本の未知なる領域
現代社会で、真面目に頑張りすぎてしまう人にとって、「間違いを恐れなくてもいい」という視点はよく効きそうである。
高野氏の視点によると、変わった視点であることが大事で、多少デタラメでも「やった者が偉い」という話につながる。
旅行計画、どちらが偉いか。やった者がえらい。と言う話。
この本の中から面白いと思った話を紹介したい。
高野氏の2人の後輩。それぞれ、AとBという仮名で、二人とも高野氏の探検部の後輩である。
Aは、南米のギニア高地、ロライマ山を探検する計画をたてた。ギアナ高地は、南米「ギアナ楯状地」と呼ばれる領域の高所部で、テーブル状の台地が林立する。エンジェルフォールやカイテウール滝の源流で、固有種が沢山いるとされる。Aは、その象徴であるロライマ山に登ろうとして計画をたてた。スペイン語を学び、現地の当局と打ち合わせを行ったという。
いっぽう、Bは、東南アジア経由でニューギニアの女戦士アマゾネスを探しに行った。アマゾネス=女戦士は本来ギリシャ神話の語で、南米アマゾン川の命名は、現在のブラジルの川沿いで女性が武器を取り戦ったという報告がギリシャ神話の女戦士になぞらえられ、「アマゾン川」の名が広まったのである。というわけで、「女戦士の痕跡」という着想自体は南米に発しており、ニューギニアで直接のアマゾネス伝承を求めるのは、地理的にはずれている。
後輩Aと後輩Bの行動。
Bはタイのバンコク経由でニューギニアを訪れ、バンコクで女性関係のトラブルにあったりしてお金を失ったりしたが、その後、苦労してニューギニアに行った。聞き込みを行ったが、アマゾネスは見つからなかった。
さてAのほうだが、彼は詳細にわたる計画を積み上げた末、結局なんと、ギアナ高地へは足を運ばぬまま卒業し、就職の道を選んだという。
ここには大きな落差がある。探せば探すほど危険や難所が明らかになり、その結果として断念に至るということは、実際にはよくあるのだと思う。Aの緻密さや慎重さが評価される場面ももちろんある。しかし高野氏は、もちろん、アマゾネスを探しに行ったBのほうを「偉い」と断言する。なぜならAは現地に行くという行動をしていないからだ。
いま行動する力
この部分を読んだ感想として自分は次のように思った。「いまこの時代に評価されること」と「数年後、あるいは数十年後になって自分自身が納得したり他者に評価されること」とは別物である。
前者はAの諦めに対応し、後者はBの実践に重なるのかもしれない。世の中には、家族や自分の当面の生活を守るために新しい挑戦をしない人も多くいる。それはそれで良いと思う。全員が挑戦をしないといけない、というわけではない。それは上記、Aの考え方に近いと思う。いっぽう、挑戦した人が偉い、という高野氏のような考え方もあって、それはBの行動であった。

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